エッセイ

顔のけが

人の顔というのは個人的な特徴をあらわす代表的なものであり、社会生活上重要な役割を果たしています。鏡にうつった顔を観察してみましょう。
なんと言ってもまず目につくのは目です。神様がどんなふうに目を造ったかで顔貌の大部分は決まると言っても過言ではないでしょう。目から火が出る、目は口ほどに物を言う、目の中へ入れても痛くない、などたくさんの言いまわしがあり、魅力的であると同時に不思議な部分です。次に目の横をずーっと見ていくと耳があります。正面についていないので一見それほど大きな役割を演じているようには思われませんが、これも個性豊かです。みみたぶは餅のようにやわらかく、人相学上問題になる部分です。最近ではここに穴をあけて装飾具をつける人が増えてきました。再び顔のまん中に戻ると鼻があります。でんとすわって存在感があります。時にあぐらをかいていますがあまり動きません。高い低いで世界の歴史が変わることもあるといわれています。さらにその下を見ると口があります。これはよく動きます。実は口の周囲には10種類以上の筋肉があり、これらが一生懸命働いていろいろな口の形を作っているのです。しかし、時々すべったり災いのもととなるので要注意です。最後に忘れてならないのは眉です。眉はいったい何のためにあるのでしょう?見たり聞いたりするわけでもありませんし、額の汗が目に入らないようにするためだけなのでしょうか。ないと不気味だし、左右で高さが違うとなんか変です。しかし、よく観察すると単なる線ではありません。太さも違うし、眉毛の生え方も一定方向ではありません。眉毛を10種類に分類している専門家もいるくらいです。意外と複雑で表情に影響を与えているのかもしれません。
以上の役者達が顔という舞台の上で絶妙のバランスで配置されて、個性を持った顔が形成されるのです。
このバランスがこわされるのが外傷です。いろいろな原因でこの役者達は切り裂かれ、深くえぐられ、ひきちぎられます。けがをした人はショックを受け、元の顔にもどるか不安にかられ、悲嘆にくれます。以前は単に縫っておけばそれで良しとされていましたが、現在ではそうはいきません。できるだけ元どおりに、かつ、きれいにしなければなりません。役者達に十分注意を払いながらジグソーパズルを完成させるように縫合して行くのです。しかし、1ピースの間違いもなく、おさめても多少の瘢痕が残ります。いわゆる傷あとです。この傷あとは時には赤くはれ、チクチク痛みます。こういう場合には傷あとが落ち着くまで根気強く待ちます。待つのも治療のうちです。その後本人とよく相談してどこをどう修正するかを決め、数回の形成手術を行います。顔は治療の結果が目に見える部位ですので、メスを入れる時には常に緊張を伴います。
一昨年の年末年始には顔の外傷の急患が相次いで運び込まれ、若い女性も数人含まれていました。それぞれ1〜2年がかりで治療を行いました。このうち1人は昨年結婚し、近々母親になります。また、別の2人はそれぞれ今春結婚することになったとうれしそうに外来で話してくれました。心が軽くなった瞬間でした。
いずみ 富山市民病院 第27号 1991.4.1

皮膚はえらい

現在の病院に勤務するようになってまもなく、ひとりの20代の男性が受診されました。某大学病院で顔のけがの縫合を受けたが、そのキズあとを治してほしいという訴えでした。見ると右眉毛が段違いになっていました。手術の際に剃毛をしてしまったのか、それとも無理に縫合したのかはわかりませんが、形成外科医としては絶対に許すことができない結果でした。
早速修正手術を計画しました。瘢痕を切除して周囲をていねいに剥離していくと、それだけで自然に眉毛がきちんとそろってしまいました。よほど断端同士はくっつきたかったのだろうと思いました。あとはその状態で縫合するだけでした。考えてみればあたり前のことでしたが、私には強いインパクトでした。
以前大学にいた時は、はじめに術式ありきで、こうと決めたら何とかしてやろうということで新しい術式にも挑戦し、無理をすることも少なくありませんでした。こうなるはずだという先入観で手術をしていたわけです。術後の結果はそれなりに満足すべきものではありましたが、予想以上に瘢痕が残ったり、拘縮を認めたりすることもありました。
この経験以来、どんな手術の際にも、あまり力まずに無理をしないようにを心がけるようになりました。これは決して消極的に手術をするということではなく、注意深く周囲組織の状態を見極め、必要十分な処置を行なわなければならないということなのです。そして、どうしようか判断に迷った時は、皮膚に聞いてみるのです。言いかえれば、皮膚の気持ちになって一番しっくりいくようにおさめるということです。
どんな小さなキズ、小さな腫瘍であっても決しておろそかにせず、心をこめて手術を行えば、皮膚もそれに応えてくれ、良い結果が得られるのではないかと思います。そう思ってみると、皮膚に助けられているなと感じることが最近多くなってきました。術者がえらいのではなく、皮膚がえらいのです。
ごく最近、局所麻酔下での手術中、患者さんから「手術中何をかんがえているのか?」と聞かれました。その時私は「皮膚と話をしているんですよ」と答えました。その患者さんはキョトンとした顔をしていましたが、それが現在の私の心境です。これからも皮膚と仲良く、皮膚を大切にしてやっていこうと思っています。
医報とやま No.1249 1999.10.15

蓮根の切り口

今から2年位前に「ほんまもん」という朝の連続ドラマが放映されていました。当時よく観ていましたが、その中である時、次のような場面がありました。主人公が調理した酢蓮根の切り口を一人の客がしげしげと眺めて、「心のこもった仕事をしているね。」と感心する(正確には、応対した庵主さまがそれを聞いて主人公に伝える)というシーンです。そして庵主さまは「あなたの真心が通じたんですよ。」と初めて主人公をほめました。
このドラマは、一流の料理人を目指す女の子の話でしたが、彼女が京都の尼寺で精進料理の修行をする場面が私にはとても面白く、教えられることが多いなあと思っていました。 庵主さまがとても厳しい人で、主人公の日常の生活態度から正していきます。禅の教えを料理にも取り入れて、「どんな状況にあっても心を安らかに持って料理にあたらなければなりません」とか、「心の乱れが料理に出るんです」などと主人公を諭す場面が印象に残っています。
ここで少し考えてみると、これらの教えは我々の日常の診療にも当てはまることに気がつきます。料理という言葉を診療あるいは看護と置き換えてもぴったりきます。たかが朝ドラというなかれ、なかなかのものだなと感心しました。
この蓮根の切り口のエピソードから、私は手術時の皮膚の切開を連想しました。我々形成外科医にとっては、皮膚・皮下組織が主な病変部です。結果が誰の目にも見えるので手抜きも言い訳もできません。私はどんな小さな皮切であっても常に緊張感を持って行うようにしています。ドレーンや内視鏡を挿入する切開創だからといって軽視してはダメです。また、若い先生の行う手術の助手をする時は、メス運びを見ていれば自信を持ってやっているか迷いがあるかを大体推測できます。そうするとより適確な介助を行うことができます。
別に誰かにほめてもらうためにやっている訳ではありませんが、どんな場合でも心のこもった診療を行うことが大切だと思います。そしてそれが、我々がそれぞれの持ち場で「ほんまもん」になれる道だと思います。田中耕一さんとまではいかないでしょうが、いつか誰かがどこかで見ていてくれるかもしれないと思って仕事をしたいと思います。
医報とやま No.1341, 2003. 8. 15